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先日ブログで見た来光寺池の菜の花畑を撮りに行く。行ってみるとかなり大きな池だった。菜の花畑はすぐに見つかったが、思ったほどは広くはなかった。しかもすぐ横にお墓がある。それが画面に入らないようにいろいろ工夫して写真を撮った。菜の花畑のあたりは東屋もあり整備されている。しかしぐるりと池を一周してみたが、他の部分は草ぼうぼうだった。車に戻り、平井寺トンネルの方に向かう。65号線の1本西側の道で初めて走る道だ。 途中で左折してみた。すぐ65号線に出るが、それを突っ切って道の反対側、富士山の方へいってみた。少し行くと道が細くなる。引き返そうかと迷ったが、右に坂を上る道があるのでそちらに入ってみた。それが正解だった。右側に何やらお堂のようなものがある。行ってみると「徳邦和尚火定(かじょう)の跡」という史跡になっていた。 横の説明書きによると大円寺の第九代の和尚である徳邦(とくほう)という人が宝暦二年(1752)10月29日卯〔う〕の刻(午前六時)自ら火の中で焼死したという。積みあげた香木の一番上に静坐し、一心に経を唱え大往生を遂げた。まるで焼身自殺だが、徳邦和尚は「仏に供養するうち焼身・捨身にまさる供養はない」との仏説を信じるようになったようだ。 大円寺は「火定の跡」のすぐ上にあった。地元の人以外は誰も知らないようなお寺だ。お寺の下に祠と5体のお地蔵さんが並んでいるスペースがある。大発見。知らない道には踏み込んでみるものだ。ところがお寺の近くに「カントリーウォーク」と書いた立て札が立っていた。そうか、カントリーウォークのコースになっているのならある程度は知られているのかもしれない。 お寺の横の植え込みがきれいだった。 65号線に戻ると、正面に何やら緑色の看板が見える。車を停めて写真を撮った。「日本ロマンチック街道」の看板だ。上田から宇都宮までのルートが書いてある。その隣に「上信越ふるさと街道」という小さな看板も立っていた。こちらは文字だけで地図はない。さらにすぐ道の先に「平井寺夫婦道祖神」とかいた看板がある。その近くに道祖神があった。こちらはかなり古いものらしく、だいぶ風雨にさらされて削られている。手をつないで立っている男女の両脇に盃とお釜と思わしき絵も彫ってあるが、風化していてよく見えない。 その後家に戻ろうと思ったが、もう少しわき道に入り込んでみたくなった。東塩田小を通り過ぎたあたりで右折した。小学校の裏に池があった。後で地図を調べてみたら清水池と書いてある。さらにその先の細い道に迷い込んでみると神社があった。神社の名前は確認しなかった。その向かいに西光寺という寺がある。仁王門の両側には阿形と吽形の金剛力士像が立っている。西光寺は並木道の奥にあるがそこまでは行かなかった。4時ごろ帰宅。 (5月19日の古い日記ですが、記録という意味もあるので収録しておきます。) |
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