ゴブリンのつれづれ写真日記

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help リーダーに追加 RSS 広島旅行記 その3 縮景園

<<   作成日時 : 2008/06/01 21:42   >>

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広島滞在最後の日は宮島に行きたかったが、時間がかかりそうなので歩いてゆける縮景園へ行くことにした。今日も暑い。
 


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まず、泊まっていた広島インテリジェントホテルから広島駅まで歩いてゆく。2、3分で着く。まだ午前9時半ごろだが暑いので地下街に入る。猿猴川の手前で地上に出る。駅前大橋を渡って上流側に向う。川沿いの道は「分化の道」という名前が付いていて、道に「文化の道 Promenade of Culture」と書いたプレートがはめ込まれている。これは面白い。1、2分で京橋川と猿猴川の分岐点に着く。そこで上柳橋を渡って対岸に行く。さらに上流に向うと川沿いにオープンカフェがある。まだ午前中なのでテーブルには誰もいない。写真だけ撮って先に行く。



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少し川から離れて道なりに進むと幟町中学校があり、敷地の道沿いに「折鶴の碑」というオブジェのような石碑がある。平和への祈りを込めて全国から送られてきた折鶴を子供たちが受け止めた証として建立されたものだという。さらにその近くの歩道には茂木弘行氏製作の「雪椿の乙女像」がある。原爆と特に関係があるのかどうか分からないが、酸性雨のせいか顔に幾筋も付いた縦の白い筋が丁度両目の下にもあって、まるで白い涙を流しているようにも見える。写真を撮った時には気づかなかったが、今写真を見ると妙に心に残る像だ。



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「雪椿の乙女像」から縮景園まではすぐだった。ホテルから歩いて10分少々だが、着いたころにはうっすらと汗をかいていた。入園料は一般で250円。ここは実に素晴らしい日本庭園だった。それほど広い庭園ではないが、細かい道があちこちについているので全体をめぐるには時間がかかった。案内パンフによると、縮景園という名称は、多くの勝景を集め縮めて表現したことから来ているが、中国の西湖周辺の風景を縮めて表したことによるとも言われ ている。1620年、広島藩主となった浅野長晟が別邸の庭として作らせたもの。作庭したのは茶人であった家老の上田宗箇。



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<上の写真>
左:縮景園入り口

中:清風館、代々の藩主が愛好した名亭

右:跨虹橋(ここうきょう)、濯纓池を南北に結ぶ太鼓橋、原子爆弾の破壊を免れた


いろんなものがたくさんあって、歩いていて楽しかった。特に庭園の真ん中にある濯纓池(たくえいち)とそこに渡してある跨虹橋(ここうきょう)という石橋が素晴らしい。実はこの石橋の写真が撮りたかったのである。何故か長野には石橋がない。初めて撮った石橋。気に入った。

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<上の写真>

左、中:跨虹橋

右:伝統的庭園の向こうに近代的ビルが見える


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<上の写真>

左:清風館、園の中心的な建物、数寄屋造り

中:夕照庵(せきしょうあん)、園の西方にある茶室

右:名月亭、茶屋

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<上の写真>

左:悠々亭、茅葺の四阿

中:看花榻(かんかとう)、藩主が京橋川対岸の桃林の花や川舟を眺めた

右:超然居(ちょうぜんきょ)と観瀾橋


 写真が多すぎるので今回はここまで。次回は今回収録しきれなかった写真を一挙に載せます。



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