ゴブリンのつれづれ写真日記

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help リーダーに追加 RSS 広島旅行記 その2 広島城

<<   作成日時 : 2008/05/31 23:26   >>

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平和記念公園の後広島城にも行ってきた。平和記念資料館を出て、広島城へ向う。それにしても暑い。前日の土曜日は雨が降っていたのでやや肌寒かった。日曜日は一転して真夏のような暑さ。体はとっくに汗でびしょびしょだ。広島ファンが次々に集まってきている広島市民球場を通り過ぎると中央図書館/映像文化ライブラリーがある。そこを過ぎると城南通りという大通りに出る。そこをわたると広島城だ。木々の上に天守閣の天辺が時折垣間見える。お城に着くころにはまた大汗をかいた。



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広島城は周りをぐるりと堀に囲まれている。橋を渡り二の丸表御門をくぐると二の丸がある。現在の表御門は平成3年に再建されたもので、木肌がまだ新しい。16世紀末に造られた元の表御門は原爆で消失したという。天守閣も原爆で倒壊した。そこからもう1本橋を渡ると本丸である。二の丸は出島のようになっているわけだ。橋の上から堀を覗いたら亀が泳いでいた。



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本丸に入るとすぐ提灯が目に入った。広場を囲むようにしてずらりと提灯が並んでいる。お祭広場のような感じだ。提灯にはみたま祭りと書いてある。広場の横に護国神社があり、みたま祭りはそこのお祭りのようだ。もう終わったのかこれから始まるのか神社の辺りはあわただしい雰囲気だった(後で調べたら、みたま祭りは24日から行われていて、25日の夜は神楽があったようだ)。早く天守閣の方へ行きたかったので、神社はちらっと横目で見ただけでさらに奥へ進む。



すると広島大本営跡という案内板が目に入った。長野県の松本大本営は有名だが、寡聞にして広島大本営のことは知らなかった。ウィキペディアで調べたら日清戦争当時の大本営だという。「臨時の帝国議会も広島で開催された。このように明治維新以降で首都の機能が一時的にせよ東京から離れた唯一の事例である」と書いてある。いや、全く知らなかった。木造2階建ての西洋風の洋館で文化財として保護されていたが、この建物も原爆で失われたという。現在は建物の基礎および礎石が残っているだけだ。案内板がなければ何の跡地か分からないだろう。



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大本営跡横の石段を登るとようやく天守閣が目の前に見えてくる。お城の前に「天守閣再建50周年」と書いた看板が立っていた。たまたまその記念の年に来たわけだ。看板には大きな鯉の絵がデザインされている。広島城は「鯉城」とも呼ばれる。昔の地名が「鯉」であったと言われ、ここから鯉城の別名がついたという。また、堀にたくさんの鯉がいたからとか、天守が黒いからという説もあるようだ。広島カープもそこから付けられたらしい。ついでながら、最初は「広島カープス」と言っていたらしいが、英語で魚は単複同形なので後に広島カープに改められたという話も聞いたことがある。



広島城は外壁が板壁になっていて全体に黒っぽい城だった。同じ黒っぽい城でも松本城に比べると外見は貧弱な印象だ。中に入ってみた(観覧料、大人360円)。展示品はよくあるものばかりで特に興味を惹かれなかった。もうかなり疲れていたのでじっくり展示品を眺めることはせず、どんどん上に登る。一箇所だけ、当時の部屋が再現されているところだけ写真に撮った(そこは撮影が許可されている)。天守閣の最上階は風が通って汗をかいた体に気持ちいい。ジュースを飲んで一休み。最上階は展望台のようになっていて、ぐるりと360度眺め渡せる。手前に公園の緑と堀の水がありその向こうは近代的ビルが立ち並んでいる。



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城を出て、バス停を探して大通り沿いに歩く。足が疲れていて、市街電車の駅まで戻る気力がなかった。5分ほど待ってバスが来た。広島駅からすぐホテルに戻る。すっかり汗だく。シャワーを浴びてやっと人心地がした。



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