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土曜日に道の駅「雷電くるみの里」へ行ってきた。雷電の銅像を写真に撮るのが目的だった。ここは今年の連休の前半、4月の27日に初めて行ったところだ。彼が東御市滋野生まれであることはよく看板を見かけるので前から知っていた。しかしついこの間まで何の関心も持たなかった。そんな昔の相撲取りを売り物にするなんてよほど他に売るものがないのだろうとさえ思っていた。だから「雷電くるみの里」も何度もその前を通りながらそれまで一度も入ったことがなかった。 それが急に雷電に興味を持ち出したのは飯嶋和一の『始祖鳥記』(小学館文庫)を読んだことがきっかけである。これが滅法面白い。飯嶋和一の本を読んだのはそれが最初だが、とにかく大変な筆力を持った人だ。空を飛ぶことにひたすら憧れた幸吉という表具師が主人公だ。大飢饉に何の手も打てない幕府の無能振りに対する不満がくすぶっている折から、巨大な凧に乗って夜空を飛ぶ幸吉を見た人々が鵺と勘違いし市中を騒がせることになった。幸吉本人の意図と関係なく、怪鳥「鵺」は公儀の悪政を糾弾する象徴的存在になり、見物人が大勢繰り出す騒ぎになる。後半から登場する塩問屋の巴屋伊兵衛がこれに意外な形で絡んでくる。巴屋伊兵衛は司馬遼太郎の『菜の花の沖』が描いた高田屋嘉兵衛を思わせる気骨ある人物で、これまた実に面白い存在だ。実際高田屋嘉兵衛をほうふつとさせる船頭も登場する。 その飯嶋和一が『雷電本紀』という本を書いていることを知ったのは『始祖鳥記』を読んでいる時だ。連休の後やっと『始祖鳥記』を読み終わり、今『雷電本紀』を読んでいる。まだごく最初のあたりだが、雷電という相撲取りには既に強くひきつけられている。連休中に「雷電くるみの里」へ行った時はまだ『雷電本紀』を読んでいなかった。その上に連休中ということもあってかなりの人出があり、何となく気が引けて雷電の写真を撮らなかったのである。ということで今回はそのリベンジなのである(大げさか)。 連休中は芝生のところはフリーマーケットのようになっていた。今日は普通の土曜日なので店は出ていない。人出もそれほど多くはなかった。雷電の銅像は売店の前に立っている。なるほど、確かにあごがしゃくれて三日月のような顔である。人並みはずれて背の高い男だが、そういう人間にありがちな手足が細いということはないと小説では書かれている。銅像も実にがっしりした姿になっている。正面と斜め前、そして後ろから写真を撮った。その後売店に入って雷電関連の商品を探した。法被や絵皿、雷電おこしなどいくつかあったが、結局「雷電そば茶」を買った。これなら実用性がある。「雷電くるみの里」の後、雷電の墓と生家も見に行ってみた。しかし近くに何の看板も出ていないので通り過ぎてしまった。まあ、またいつか探してみよう。 雷電為右衛門は江戸時代中期の大関で、東御市滋野生まれである。とてつもなく強い力士で、身長は197pあったという。生涯の成績は、254勝10敗、引き分け他21。勝率が96.2%というのは驚異的である。どうして横綱になれなかったのか不思議なくらいだ。 この歴史に残る大大関は単に相撲が強いだけではなかったようだ。『雷電本紀』によると、大名に召抱えられた身分に安住しほとんど見世物の「拵え相撲」が横行していた時代に、真っ向からの力勝負を挑んだらしい。その姿勢が悪政にあえぐ民衆の希望となり支持されたという。その点で『始祖鳥記』の主人公幸吉と重なるところがある。どうやら飯嶋和一はこういう人物に興味を惹かれるようだ。僕としても大いに興味がある。早く先が読みたい。 |
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>そんな昔の相撲取りを売り物にするなんてよほど他に売るものがないのだろうとさえ思っていた。 |
クマイチ 2008/05/18 19:06 |
クマイチさん いつもコメントをいただきありがとうございます。 |
ゴブリン 2008/05/19 12:48 |
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