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丁度大日堂の横手に出たらしい。正面に回るとかなり古びた建物である。屋根は修復したのかそこだけ新しく見える。大日堂前の長い階段は先ほど下から写真を撮った階段だろう。階段横の案内板によると、大日堂には大日如来像の他に「算額」が納められているという。算額とは和算の問題とその解き方を書いた額である。自分の解いた難問を広く一般に広めるため、あるいは他流の挑戦を受けるために解いてみろと掲げたりするようだ。以前テレビで「算額」を特集しているのを観たことがある。まさかこんな近くにもあったとは。中に入れないので見ることはできなかったが、大いに興味を引かれた。和算の始祖は関孝和だが、彼はお隣の群馬県出身。そのせいかこの地に和算を伝えたのも関流の流れを汲む小諸の関五太夫という人で、小諸から上田さらに東信地方に伝えられ普及したと書いてあった。そういえば、群馬県独特のカルタ、「上毛かるた」の「わ」の札は確か「和算の大家関孝和(せきこうわ)」だった。学生の頃群馬県出身の先輩に誘われて一度だけやったことがある。もう一つ覚えているのは「つ」の札。「鶴舞う形の群馬県」、これで初めて群馬県の形が鶴に似ていることを知った。 さて、大日堂のすぐ左隣に「西国霊場三十三観音」があった。積もった雪に足首までズボズボ埋まりながら近くまで行く。石造りの観音様が3段に分けて並んでいる。立ったり座ったり片膝ついたりと様々な姿勢の観音様たち。細かく見ていると面白い。さらにその左隣、丁度「大日堂」、「三十三観音」とコの字を描くような位置に「木造百体観音」があった。正面の格子戸の間から中の写真を撮った。正面に大きな観音像があり、その左右にたくさんの観音像が並んでいる。「石尊さまの納め刀」は「三十三観音」の背後の一段高くなったところに建っている建物に納められているのだろう。これは下から写真を撮っただけで、階段は上らなかった。 「木造百体観音」の裏から下のほうに降りられる。しかしここは結構広い。最初は歌舞伎舞台だけと思っていたが、大日堂とつながっているので色々と見所が多い。祢津の町の上にぽっこりとそびえた異空間。予想もしていなかったが、デジカメをもって歩き回るにはもってこいの場所だった。降りてゆくと正面の崖の端に先ほど下から見上げた「白い観音様らしき石像とその背後にあるお堂のようなもの」が見えた。近づいてみるとそのお堂は鐘楼(鐘撞き堂)だった。これまた近くで見ると実に立派だ。上にあがれる。鐘をさわってみた。冷たい。そこから東御市一帯が見下ろせる。観音様は崖の上から毎日下界を見下ろしているわけだ。他にも立派な石の祠、おおきな二十三夜塔などいい被写体がいくつもある。 下界に下りて下々の者の生活を見てみることにする。祢津のメインストリートは昔の宿場町のような趣がある。蔵造りの家、白壁、立派な門構えの家。路地もいい感じのものが多い。ばしばし写真を撮った。上田方面にしばらく歩いてゆくと「定津院」の看板が目に入った。ついでだからここも行ってみよう。ゆるい坂道を山側に上ってゆくと、大きな門が見えてくる。門の向こうには赤い帽子を被ったお地蔵さんが6、7体横に並んでいる。その奥に鐘撞き堂があり、さらにその奥に本堂がある。鐘撞き堂の左右には渡り廊下のようなものが延びている。いやあ、びっくり。大したお寺じゃないか。大日堂と定津院の間には長命寺というお寺もあった(ここは行かなかった)。どうやら東御市の祢津界隈は、東京の根津並みに由緒ある町らしい。 帰宅後インターネットで調べてみて分かったことだが、西町(西宮とも言うようだ)の歌舞伎舞台は健事神社境内にある。その健事神社は何と定津院のすぐ隣ではないか。残念、すぐ近くまで行っていたのに気づかなかった。2つあるうちの片方しか見ていないというのはすっきりしない。今度また西宮の歌舞伎舞台も見に行ってみよう。 |
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まっすぐ行くと長命寺に突き当たるところ(祢津公民館?)に祢津の史跡・文化財・寺社などの大きな案内板がありますね。 |
クマイチ 2008/02/29 18:19 |
クマイチさん コメントありがとうございます。 |
ゴブリン 2008/03/01 00:02 |
クマイチさん |
ゴブリン 2008/03/03 03:10 |
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